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2007年 11月号

    一、変化する時代、「通信」も役割を終える  いつも大変お世話になりありがとうございます。  長年お送りさせていただいたリミット通信を終わりにさせていただく時が来ました。二十数年にわたり、毎月書き続けられたこと、またご愛読くださった皆様には感謝の念でいっぱいです。今後は想いが溢れたら書くことにします。「老兵は消え去るのみ」の言葉がありますが、今その言葉を実感しています。年と共に一つ一つ終わりになります。そして年齢に相応しい生き甲斐を見つけなくてはなりません。  その様に考えている時、九月は大幅に売上を落としました。十月の売上アップを平均しても、売上ダウンは避けられませんでした。今まではこのような時、非常事態宣言を出して強攻策を練り、行動を起こしてきました。しかし、この度はそのような気持ちも起きませんでした。年齢の関係で気力が無くなったのかと反省しましたけれど、経費を使わず自然の流れに任せるのがよいのではないかと考え直したのです。ご存知のように私は以前から、将来作業服は中国から販売店かユーザーに直接売ってくると考え続けてきました。戦後六十年、流通業界は大きく変わりました。私のような老人でも価格を比較して安いところから食品・薬・健康食品・酒・日用品・衣料品を日本全国から通信販売で買っています。配送も以前は道路に車を止めて運転手が荷物を持ってきました。今は女の子が押し車で配送してきます。つまり配送のニーズは軒並みにあるということです。  情報通信も激しく変化しています。私は現在、四国八十八ヶ所巡拝をしています。四国の田舎のホテルには、一部でしかインターネットへの接続ができません。設備がないのです。リミットの情報システム部門に、インターネット専用通信機器を探すように申しますと、先月末に携帯電話網を利用したパソコン向けのデータ通信がドコモより発売されていると伝えてくれました。その通信機器を買って全国からリミットのコンピュータに接続できるようになりました。山の中の宿でも不自由を感じない速さです。但しデータ量の多い通信は制限されています。時代はもの凄い早さで変わって行くことを実感しています。変化しない会社は脱落するのは当然で自然の流れです。   二、自社で開発し蓄積すべき重要なもの  リミットは女子作業服を最初に創った会社です。しかし...

2007年 10月号

    一、世代交代のためのこの通信    いつも大変お世話になりありがとうございます。  引退が近づくにつれて私は、人生には三回大きな節目があるということを改めて痛感しています。その三回の節目すべてで成果を出せた人は、大変な成功者になると言われます。私の場合は一回、二回と失敗し、後始末で大変でした。特に一回目はよく生き残ったと思っています。人生の末期になって、この度が三回目のチャンスです。この度は今までの失敗の経験を生かし、進むべき道を考えています。  私は、この『リミット通信』を通して、皆さんにリミットの理念や方針を理解して頂きたく努めてきました。八百あまりの送付先には、全く肌が合わない考え方であるために読まずに捨てられている方があるかも知れません。それは致し方のないことです。一人でも参考になる方がおられれば、私の徳の大きな積み重ねになると思っています。  しかし一方本音では、専務一人のために書く努力をしてきたと明言できるのです。親が子を思う心を率直に著してきました。専務も言葉だけでは頭に残らず消えてしまいます。文字で残していれば、何かで迷いが起きた時に役立つのではと思っています。今年の春、気がつけば専務がリミット通信を編集し、『極限の精神』の題で本にしました。私は、専務用に一冊作ればよいと言ったのですが、一冊も五百冊も同じだと言っていました。価格は千五百円になっています。私の意を汲み、無料配布はしていません。何冊売れたかは知りません。私は有名人ではありません。買ってまで読む人は少ないでしょう。親を尊敬してくれるのはありがたいとは思いますが、私は人の心が解っているので一冊作るように言ったのです。この一件も専務が人の心を知るよい経験になったと思います。『極限の精神』は専務が編集しているので私の考え方を相当理解していると思います。この点は大変なプラスでした。しかし自分が苦しみながら経験したことではないので、知識として理解しているだけです。これから自分の人生を歩んでゆく過程で経験をしながら実感として体得していくと思っています。     二、無駄の多い金融庁の指導    先日、専務に頼まれて三百万円送金するために銀行のATMに行きました。ちょっとややこしいのですが、専務から現金で二百万円を受け取り、残り百万円を私の口座から専務に貸...

2007年 9月号

    一、同族経営から更に進化へ  いつもお世話になりありがとうございます。  リミットは今まで何度か書きましたように、同族経営方式で経営をしてきました。つまり個人の金は全部会社に貸しています。個人名義の預貯金は一切していません。会社名義の預貯金は、銀行から借り入れの担保として定期預金がありましたが、この度それも今年度で全部解約しました。従って今では個人も会社も定期預金は皆無になりました。現在の金融機関は、昔のように定期預金を要求しません。資金が充分あるのだと思います。  現在は個人の貸付金は企画・生産会社である大阪リミット㈱に対して行っています。大阪リミットへは青島伸栄服装有限公司が100%出資しています。大阪リミットは中国企業の青島伸栄服装有限公司の子会社となっています。青島伸栄服装有限公司の株式は、専務の会社である㈲宏正商事が100%持っています。  大阪リミットが中国の子会社ということで、貸付金の金利は中国金利のレートが適用されるので、5%、6%、7%と次々と金利が上がっています。日本の企業への個人貸付金利は3%までと思います。それ以上は税務署が認めませんが、個人貸付金は高い金利を貰いながら増やしました。  個人貸付金が増えると、その金額だけ銀行借入金が少なくなります。会社は利益が出ない勘定になり、法人税が少なく押さえられます。勿論その代わり個人所得税は多くなります。この方法によって、会社は利を出していないのに、銀行借入金が年々減少したのです。この状況では決算書を見ただけでは経営状態が理解しにくい会社になっていました。これが同族経営方式による銀行借入金の圧縮です。  リミットは、目標である無借金経営を達成するまで、苦労して返済してきました。そこで現状を鑑みて、個人貸付金も中止することを決めました。個人貸付金を徐々に会社より引き上げながら、会社の利益を増やして内部留保を増やし、会社経営ができるように経営方式を変更することに決めました。個人が会社を利用して利子で利殖するのではなく、個人は会社以外で資産運用を行います。現在では所得税も上がり、個人給料は法人税率と同じ程度になり、節税が難しいのです。そこで会社存続の最低限の体制ができたので、役員の給料を下げ、法人税率以下にして会社の内部留保が増える努力をすることを決めました。 ...

2007年 8月号

    一、深刻な自殺と過疎の人間関係  いつも大変お世話になりありがとうございます。  先日、ビックリするような記事が目にとまりました。  「人の命は地球よりも重い」今日もイラクで二百名が死んだ。月平均三千名。イラク人の命は軽い。日本人の命はどうか。実はイラク人以上に軽い。そんなこと信じられるか。日本でアルカイダの爆弾は破裂しない。日本には内乱はない。警察の逮捕率は世界一高いのに、なんで月三千人も死ぬのか?テロでもない、殺人でもない、事故でもない、なんと自殺だ。世界一金持ち国家日本、世界一識字率が高い日本、日本人の預金は世界の総預金高の六〇%、日本人の自殺率は先進国No.1。自殺の原因の八〇%は経済苦と病気、世界一金持ち日本人がなぜ経済苦?国民皆保険国でなぜ病気苦?いま世界最大の不思議な日本人。  先日、東京のマンションで親子四人の心中記事が出ていました。お母さんのおなかには子供がいました。生活ができないし、子供も産めないと書き残し心中しています。  現在の都会暮らしに隣近所の付き合いはありません。孤立した個の生活です。この都会で失業して収入がなくなった場合、このような事態になるのは不思議ではありません。昔はそんなに田舎でなくとも野菜作りから味噌、醤油、漬け物など全部家で作っていました。水は地下水で燃料は山に取りに行っていました。風呂も順番に沸かし隣近所に入りに行っていました。葬式も花は山に取りに行き、隣近所の協力で恙なく執り行えました。相互扶助の強い絆があり、贅沢を望まなければ誰でもが生活はできていました。  こう説明すると皆さんも多分自殺者が多いのは大都会だろうと想像されるでしょう。私もそうでした。ところが予想に反して、大都市に集中しているのではなかったのでした。自殺者の多い順に一位秋田、二位青森、三位岩手、四位山形、富山、宮崎、高知と続いていました。逆に自殺死の少ない地域は、一位神奈川、二位三重、三位徳島、四位香川、奈良、愛知、京都、岡山、東京都続いています。年齢を見ますと、五十才から六十五才と八十五才以上が最高の自殺率になっています。東北地方は全体的に自殺率が高いのです。四国の場合、高知が高く反対に徳島、香川、愛媛は低い地域です。東北地方は全体的に悪いようになっています。  四国は両極に分かれています。瀬戸内海側の徳島県...

2007年 7月号

    一、危機を救う生産管理システム  いつもお世話になりありがとうございます。  リミットは、毎期決算書に今期営業報告書と来期営業方針を添えて、取引金融機関と仕入商社に郵送いたします。今回の平成十八年度の決算書は、平成四年度の決算との比較で説明しました。平成四年と言えば売り上げの減少が始まりその半減を予感した時期です。一般的に企業のユニフォームの備蓄も五年分ほどはあり、社員も制服支給よりリストラをしないことを要求すると予測した場合、売上がゼロになる可能性も考えられたのです。とは言え不況であっても資金が充分にある会社も少なくないのだから、売上が五十パーセント減で下げ止まるなら最高だと思いました。この条件の中で確実に生き残るには、会社の規模も在庫も二分の一にしなくては資金不足を起こします。そこで不測の事態に備え商社に融資の準備をお願いしていました。  この時に威力を発揮したのがリミットの生産計画ソフトでした。平成四年当時、一般的には作業服の在庫点数はコンピュータ在庫と合わないのが常識と言われた中、リミットの在庫情報は即時更新で、現時点で一枚でも在庫が解る正確な在庫システムができていました。そして年間生産計画システムも稼働していました。一年で在庫半減に持ち込むシミュレーションができたのです。中国の工場も国内工場も休業で生産調整し、その補償を払うことにしました。工場休業補償を払い赤字になっても、資金不足で倒産することはありません。在庫過剰は、資金不足を引き起こし倒産に至ります。売上半減の金額と在庫半減の条件でシミュレーションをしました。生産計画書通りに休業し、一年半で在庫を半減させることができました。平成四年当時にリミットのコンピュータシステムはこれだけの威力を発揮していたのです。  二十年前、パソコンは処理スピードも遅く、百万円もしていた端末に先行投資が結果を出したのです。売り上げが半減を予測できたとしても、リミットに年間生産計画システムが完成していなかったら倒産は免れなかったでしょう。人間の閃きとコンピュータの管理能力のバランスがとれていたのだと思います。そしてこの度問題になった大手の会社の管理面の脆弱性を見て、改めて情報システムの重要性を認識しました。   二、後退する道を選択した意味  平成四年から現在までの間に私は、非常...

2007年 6月号

    一、2位以下では記憶に残らない  いつも大変お世話になりありがとうございます。  リミットは、個人企業時代の一九六五年、女性専用の作業服を日本で最初に縫製、販売した会社です。そしてその商品で、情報システムを使った通信販売を始めたのも、業界内ではリミットが最初だと思います。  しかし最初に手がけた割には会社が大きくなりませんでした。私が体も弱い、資金もない、最悪のどん底から立ち上がってきただけに、多くの遠回りの道を歩み急激な前進はありませんでした。お得意先では「女子作業服のリミット」はよく知られています。しかしそれに「日本一」がつけば疑問に思われます。私は社内に対しては、「会社の規模ではなく商品企画力で誰からも認められる日本一になれ」といつも檄を飛ばしています。また、お得意先には「女子作業服のリミット」は、知られているのだから、私の時代の作業服を大きく変化させ、専務が引き継ぎ、新しい時代に対応した製品をつくり、女性の働き着では日本一と完全に認知されるようにして欲しいと言っています。  なぜこのように日本一にこだわるのか?その理由は簡単です。日本で一番高い山は、富士山と誰でも解ります。日本で二番目に高い山は?日本で三番目に長い川は?日本で四番目に大きい湖は?「ナンバーワン」はすぐわかっても、二番目、三番目、四番目となるともうわからなくなります。企業も「ナンバーワン」しか覚えてもらえません。だからナンバーワンになることが何より重要なのです。  小さな会社でも日本一になることができます。女性専用の作業服の縫製販売を始めて四十二年間の努力の結果、最近企業体質も強くなりました。情報システム、企画ノウハウも多く蓄積することができました。急激に成長した会社は基盤ができていないので、予想外の出来事に非常に弱いのです。この意味で基盤が固まったリミットグループの実力を発揮するときが来たと思っています。   二、無借金経営と投資  私から専務の時代に引き継ぐに当たり、財務強化するため、全支払いが現金支払いとなりました。無借金経営も見通しがたってきました。しかし無借金になると世間によくあるのが会社の雰囲気が安易になり、闘争心を失って進歩が止まるケースです。それを防ぐのは先行投資です。その返済の努力の繰り返しが、会社を進歩させるのです。リミッ...

2007年 5月号

    一、メスを入れた青島の現状  いつも大変お世話になりありがとうございます。  四月に二泊三日で中国青島工場に行ってきました。  ここしばらくは、生産計画の精度向上とインターネットでの連絡で納期が正確に流れており、長い間中国に行く必要がありませんでした。独資工場を設立し、この十年間にリミットは財務管理・生産管理すべての管理体制で究極の管理体制ができました。その反面、青島の独資工場は、生産管理ができても財務の重要性を理解せず、どんぶり勘定でした。今この問題にメスを入れる時期が来ていると感じての訪中です。その時期とは、私の時代から専務に引き継ぐ段階で、不明・不可解な分野は切り捨てる方針をたて、撤退か継続かの問題が起きたことは昨年の十一月のリミット通信と今年の二月号に書いたと思います。  本来このたびの訪中は、今後の方針を考えるために二年ぶりの副社長の行動でした。しかし私は、専務より副社長に同行し中国の状況を視察するよう勧められたのです。結果、来るべき専務の時代の最善の方法は何かと考えるまたとない機会になりました。私は常々、古い体制の中で旧態然とした人材を教育するより、それらを切り捨て、全く新しい人材を獲得する方が、例え苦労があってもより良い結果が早く出ると考え、スクラップ&ビルドで社員の入れ替えを繰り返してきました。これは中国でも適応すべきことだと思います。  専務は、総経理の娘を日本の大学に入学させて青島伸栄服装有限公司の後継者に育ててきました。この経過をふまえ、この娘を総経理にしました。そして会計士も若い人に変えました。親が雇っていた会計士を変えることは親子の争いの大きな火種になります。そこで総経理に退職金を払い、職を退かせました。日本でも多くの会社が親子の意見相違で引き継ぎ時に争いが起きていますが、断固とした揺るぎない方針が必要です。ちなみに元総経理は冷たいやり方で最後は娘も切り捨てられると言って腹を立てています。   二、中国の表裏と投資の心得  私が中国に最初に行ったのは十五年前です。当時は青島には直行便はなく、上海か北京経由でした。日本企業の多くは飛行機の便利のよい上海に行かれていました。しかし、どうしても上海は私の性格と合わず、いつの間にか北京、大連、天津と不便な北回りになっていました。青島は温厚な人が多く...

2007年 4月号

    一、将来を見据え苦しい道を選択する  いつも大変お世話になりありがとうございます。  先日、業界紙に香港企業が日本の商社に五五パーセント出資したことが報じられていました。私は、作業服の分野では、必ず中国の企業が直接日本市場に販売する時代が来ると相当以前から予測していましたので驚きません。しかし、一部では問題視しているようです。中国の縫製メーカーが日本を市場にすることは、誰でも予測することができたと思います。しかしその時点の業績が好調に推移していると、ついつい対策を先送りすると思います。次の時代を考えないのです。リミットの中国進出は、この時代を展望していました。  その方法の一つとして、中国工場の日本支社を設立しました。とは言っても、女性向けの商品では、未だこの会社が完全に活かされていません。メンズ製品であれば、中国製品に対する安かろう悪かろうのイメージをもたれていたとしても違和感はないと思います。企業イメージにも問題はないでしょう。しかし、中国製の婦人製品の場合だと企画・デザイン・センスが日本人に全く合いません。やはり、生産は中国でするのが最適であっても、企画は日本国内でということになるでしょう。  リミットの歴史を省みると創業初期は、地元の問屋へ販売していました。問屋は全国の小売店に販売していました。当時の経済評論家が「問屋無用論」を主張したように、問屋はものづくりせず、楽な商売をしていました。リミットの「同じ道が二つあるなら苦しい方の道を選ぶ」の哲学で、苦しいメーカーの道を選び、苦しい道が長年続きました。問屋は必ず行き詰まると考えていても結果が出るのには三十年かかったと思います。同様に中国からの進出にしても、結果が出るのは先になります。その間にメーカーは今から準備しなくてはなりません。ユニフォーム業界も、日本で中国企業と競争する時代に入りました。日本支社設立の選択は、この苦しい道の選択、即ち成功の選択だと確信をもっています。   二、継続する粘り  先月のリミット通信で粘りの人生について書きました。問屋との取引も三十年、四十年粘りの歴史で生き残りました。人間に「粘り強い人」と「飽きっぽい人」がいるように、企業にも「粘り強い企業」と「飽きっぽい企業」が存在します。物事に対して組織全体で粘り強く取り組むことのできる企業...

2007年 3月号

    一、健康危機、経営危機からの脱出  いつも大変お世話になりありがとうございます。  先月のリミット通信で、末期の肺結核で医者から見捨てられたどん底から、最初は地を這うような経営から始め、業界大手会社を追いかける戦略を一つ一つクリアしてリミットの歴史を築いてきたことを書きました。ここであえて言うと、戦略などは誰でも考えれば策定することができます。その戦略を具体化する行動になると、戦術立案も含めて障害が多く起きて計画通りにならないのが世の中の常です。ところが私の場合、次々と自ずと道が拓けてきたのです。何故道が拓けたか、その理由がわからないことが多くありますが、それらすべてが今あることの大きな基となっています。  私の人生で一番大きな問題は肺結核の末期症状からの脱出です。二十五才から現在まで肺結核と闘い続けてきました。今でも年に何回か吐血します。一度壊れた肺は元には返りません。長年の歴史の中で空いた穴を石灰化させるだけです。壊れた肺を上手に使っているだけです。使い方を間違えると壊してしまいます。こんなこともありました。四国の徳島市から室戸岬に向かって約一時間で、日和佐町の二十三番薬王寺に着きます。その石段を上がっているときに吐血が始まりました。私は吐血で死ぬことは無いと経験から知っています。吐血で死ぬのは吐血を止めようとして喉に血を詰まらせて呼吸ができなくなり窒息するのです。気楽に止まるまで出し続ければ死ぬことはありません。そして吐血を止めるには血圧を上げないことです。血圧を安定するには心の安定が一番です。心の安定を保つために南無大師遍照金剛を唱え続けながら血圧を上げないようにしました。そして高知市室戸岬のお寺を巡拝し、福山まで約四百キロを吐血した日に帰ってきました。吐血したことは誰にも言いませんでした。夜の晩酌も少し飲みましたので、家内も知りません。晩酌も少しすれば血圧が下がります。  もし吐血した時、医者にかかったなら会社にも連絡があり大きな問題になります。対外的に知れれば会社の信用にも大きく影響をしてきます。対処の仕方で運命は大きく変わります。私は早い時期からコンピュータを使って在宅勤務を基本にしていたので体調が悪くても皆さんに知られないようにすることができました。対外的には知られなくても、私自身は肺結核に対して猛烈に戦い続けていまし...

2007年 2月号

    一、供給過多で続く価格競争  いつも大変お世話になりありがとうございます。  ユニフォームメーカーが小売販売価格の値上げをしないようです。低価格が続く中で更に価格競争に巻き込まれて、メーカー・販売店は利益確保が大変です。日本経済は成長段階に踏み出したと言われています。しかし需要と供給のバランスという価格を決める基本の問題には全く改善が見られません。つまり供給過多なのです。だから政府のいう割には、景気がよいという実感がありません。物価も賃金も上がっていません。購買力=需要が小さく供給の数が多いのです。この状態では価格競争、即ち値引き競争は一段と激しくなります。  以前なら景気が回復すれば、中小を含め多くの企業が好況を手にして息を吹き返しましたが、中国など発展途上国から安価な商品が大量に輸入され供給過多に拍車をかけて問題を複雑にしました。今日の「景気拡大」には明るい見通しはありません。安値競争が激しくなるばかりです。   二、ユニフォームメーカーは    消滅の危機にある  ユニフォームの売上についても一般的にピーク時の売上に比較して、四○パーセントから五○パーセントの水準だと言われています。リミットも三回非常事態宣言をして、激しい合理化を致しました。それでも、素材コストは高くなります。製品は供給過剰、製品価格据え置き状況で利益確保は今後、一段と厳しくなると思います。ユニフォーム販売店も価格競争で現状を維持できるか、廃業に追い込まれるか、大変厳しい状況だと思います。この度、値上げを見送ったユニフォームメーカーは体力勝負で、弱い同業他社との競合をしかけて倒産に追い込む戦略だと思います。それに負けたところから倒産します。メーカーも販売店も命がけの体力競争時代に入りました。  販売店を通して女子ユニフォームを販売しているリミットも、販売店が廃業して減少すれば大変厳しい条件の中で再び道を拓かなくてはなりません。販売店の将来の状況が大きくリミットに影響してきます。時代の変化を考えてリミット、大阪リミット、リミット通販、日中情報システムがどのように連携し新しい道を切り拓くか。問題意識を持って行動を起し始めています。感じたら即行動を起こす。行動を起せば問題点が見えます。修正しながら前進すれば、必ず道が拓けます。振り返ってみると、リミット...

2007年 1月号

    一、中国青島工場財務諸表の矛盾  いつも大変お世話になりありがとうございます。  昨年末に中国の生産体制を継続するか、打ち切りにして新しい工場を作るか大きな課題が与えられました。このことはリミット通信の十一月号に書きましたが、特に金融機関から心配のあまり問い合わせがありました。銀行だけではなく、多くの方々が注目されていることではないかと考え、結果をご紹介いたします。  中国青島工場から昨年と一昨年の決算書が求めに応じて送られてきました。中日翻訳ソフト(決算書をスキャナでとり範囲を指定して日本語に翻訳)で翻訳すると、書かれていた工場の人員は、私の聞いていた人数より三十名も少なくなっていました。一目で経費に問題が見つかります。対昨年比で経費が急増しています。その理由の説明を求めたのですが、納得できる説明がなされません。返ってくるのは、意味不明のものばかりです。  日本と同じように中国の会計は、税務署に出す書類を作ります。工場の会計士は資産負債表と損益表を作り会計事務所に送ります。それを会計事務所が処理をします。中国の会計は基本的には税金を納めない努力をするので、正確な決算書は出しません。だから余計に本当のところが見えません。私の感じでは、工場の会計士が作った試算表を基に会計事務所が処理するので、決算書を操作するのは工場の会計士だと思います。つまり、決算書の疑問点は、会計事務所ではなく会社内部事情に依っています。  工場の会計士は元総経理が国営工場にいたときの会計士ですから、専務は若い会計士と入れ替えをするように指図をしました。新任総経理は財務知識もなく、今までのことはよく解りません。その中で専務からの色々な質問を会計士に聞いて返事をする過程で、新任総経理自身も多くの疑問を感じたと思います。私の時代は中国の法律が解らず、全て青島側に任せていました。しかし専務は、問題点とおぼしき事項を福州宏正服装有限公司の総経理に問い合わせています。そうすると弁護士、会計士になど中国税法の専門家と協議した結果をメールで送ってきます。それを青島工場に転送します。コミュニケーションは日本語なので全て理解できます。中国も法律の整備はできています。それを日本人に教えず、中国に都合がよいようにするので日本の多くの進出企業に問題が起こるのです。私の時代の問題点を、専...