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2001年 11月号

   1、赤字部門を抱える積極的意味    いつも大変お世話になりありがとうございます。  11月も大変厳しい状況が続き、社会全体が落ち着きを失っています。リミットといえば逆に平静な状態で社員は落ち着きはらっています。我がリミットの社員には突撃精神がないのか、それともいつも悠然としているトップの私の悪影響かと思うことさえあります。しかし考えてみると、「突撃」とか「猛烈」とか檄を飛ばしても、今の経済状況で売上対策としては疑問です。以前に書きましたが、リミットの朝礼時に、気合いを入れながら前の通りで駆け足をしている会社がありました。朝は頭脳を使うとき、体を使うのは午後と私は決めていました。体力を保つことも大事です。しかし体力のみの仕事では開発途上国に負けてしまいます。案の定その会社は倒産しました。  ところで実は、リミットにも猛烈に行動している部分があります。リミットは赤字部門を二つ持っています。リミット全体の運営としては拡張路線を方針とする部門です。会社が黒字の時に赤字部門を持てという経営哲学があります。赤字部門を育てるには3年から5年はかかります。会社が赤字では資金不足で赤字部門を持てません。これを黒字にするために全力投球をしています。この取り組みがリミットの将来に大きく寄与すると思っています。    2、情報化とキャッシュフロー経営の中で    社内での情報を共有するために電子掲示板が大変役立っています。私の家でも24時間見ることができます。何か問題が起きるとネットワーク上で討論が始まり、情報の交換は緊密です。ところがそれでも情報が収集できないこともあります。私はかなり以前から、手書伝票をコンピュータ処理に改めてもらえない得意先については取引を中止するよう指示していました。情報化の時代に逆行して、リミットの実務にも弊害が起きるからです。社員の粘り強い交渉で今では手書き伝票をだすような企業との取引は皆無だと思っていました。ところが、3ヶ月前の時点で2社が残っていることを知り驚きました。情報化の時代に手書き専用伝票とは…と取引中止を厳しく指図しました。しかし、そんな指示の必要も無かったかもしれません。2社のうち1社は9月に親会社が倒産、もう1社は10月で倒産しました。これが情報化への改革を頑固に拒否した結果です。  『利益がなく...

2001年 10月号

   1、厳しい状況を予測し、緊急の方向転換    いつも大変お世話になりありがとうございます。  9月中頃から異常な売上ダウンで推移していることに気づき、即行動を起こしました。具体的に書きますと、連休後の9月17日に素材メーカーへ全てキャンセルしてあらためてロットを示し再発注しました。そして売上ダウンが10パーセントから30パーセントまでの予測シミュレーションをし、18日に全社員を集めて大変厳しい状況になっていることを説明しました。試算表と予測シミュレーションを公開してリミットの財務状況を説明しました。同族経営方式導入のメリットで、リミットが非常に強い財務体質になっていることを説明しました。そして、在庫さえ増えなければ、利益が減少しても倒産することがないことも解説し、在庫を最重点に対策を立てるよう指示しました。翌19日には売上予測を再検討し、私の責任で30パーセントダウンの予測をしました。私の哲学では最悪を考えて対策を立て行動を起こします。このことでいつも危機を乗り越えています。この予測を甘くすると、再び対策を立てるとき困難が倍加します。逆に30パーセントが20パーセントになって商品が不足したときは、全力を上げて追いかけ生産をする方がプラスが大きくなります。私はこのように考えいつも結論を出します。    2、日中が一心同体であると認識    中国工場にも即刻この方針を示し、21日金曜日には中国工場の3割の人員整理を通告する書類を役所に提出する準備を確認しました。電話で5日間の間に中国工場まで生産体制を変えたことになります。これは中国工場と日本のリミットとが一心同体だからできることです。  これまで、リミットががんばらなくては中国青島伸栄が発展しない、と中国の総経理はいつも言っていました。今年来日したとき、肝臓が痛いというので、時間をかけて日本で精密検査を受けさせました。悪性腫瘍でもあれば生命の危機が経営の危機に直結する、という最悪のシナリオを心配しました。総経理の息子と娘が日本で勉強中でまだ実践には時間が必要です。検査の結果は取り越し苦労だったのですが、中国工場で90パーセントを生産しているリミットは大変なことになる、と気が重くなりました。総経理には私の思いが伝わり、中国と日本が一心同体だと考えるようになったのです。  念の...

2001年 9月号

   1、マイナス材料をプラス材料に    いつも大変お世話になりありがとうございます。  9月は大変な状況です。今何が起きても不思議ではない状態になっています。  売らなくてはいけない、売って不良債権を増やしてはいけない。この矛盾する状況の中では的確な判断と対処が求められます。私は社員に、このような事態は今までに何回も経験したことで、すでに織り込み済みであわてる必要はない。今までの行動の線上で行動していれば、必ず良い結果が出ると言っています。そしてこの事態を経験したことのない次の世代にはまたとない教育のチャンスだと思っています。私がいつも自分に言い聞かせていることは、マイナス材料を逆にプラス材料にするということです。この考え方に徹したから瀕死の病気を克服し、どん底の貧困から一歩、一歩と立ち上がってきたのです。その実績と自信がどんな悪条件にも負けず、道を開く信念と自信になっています。若い世代にはどんな不安な心境になっても、外部に不安を与える言葉、自信のない言葉を出さないようにと教えています。多くの会社の2代目が不安な心境で目の先の対策に追われ振り回されています。そして、その結果は逆に大きなマイナスを起こし、結局後始末に追われる時が来ると思います。    2、「排他」的な京都商習慣は是か非か    昔から京都府室町での商取引は、顧客は商品ではなく経営者の人格に価値基準を置いています。毎日真摯に仕事をする姿を見てもらって、信頼できる人物だという評価を得て初めて買ってもらえるのです。しかし信頼を得るのは難しいが、いったん信頼されると長期にわたって取引が行われるのです。信頼を得る方法には、同業者との違いを出すため扱う商品に個性も必要です。同じものを売ったのでは値段の競争になって、狭い市場ではお互いの首を絞め合うことになり、生き残れないからです。同じものを扱って客を奪おうとするところは、仲間に入れてもらえません。誰がどんな仕事をするかという棲み分けができていなければ生きてはいけない世界です。この排他的とも思える関係は、実は限られた市場で過当競争を避ける知恵です。既得権や排他的取引を罪悪視するような考え方もありますが、既得権を大切にする排他的な取引慣行は、物真似を排除する手段でもあります。  京都で成功した企業は、まず人格を評価してもらい...

2001年 8月号

   1、悪化する日本の生産環境    いつも大変お世話になりありがとうございます。  当社今期夏物の売上げは目標を下回ってしまいました。現状を分析してみると私はこの度の事態はある意味仕方ないことだと思います。  今月は終戦記念日の月です。56年経った今、日本の中小製造業は国際競争で「敗戦」を喫したのだと私は思います。日本では妙な中流意識がはびこり、海外の若い勤労者に比べて労働意識も希薄で勉強もしません。高校生でも携帯電話に平気で月の使用料2、3万円使うと聞きました。これは異常です。親が失業して56年前のように食事にも事欠かなければ、彼らも考え直さないのではないかと思います。最低賃金制を廃止し日本人が海外の労働者と同じ賃金で働くような覚悟がないと国内生産で生き残る道はないでしょう。  私は中国に長年通って、中国人の労働意欲そして金銭に対する厳しさを見てきました。この限りでは到底日本は対抗ができないことを実感しました。それで頭脳分野で勝つ以外ないと考え、人材の獲得に努力して総合研究所を作り、人材養成に努力してきたのです。中国を知れば知るほど繊維関係での生き残りは頭脳分野以外では困難と痛切に感じています。現状では、売上げを増やす努力より、今後生き残るためには何が必要か考えて行動を起こし、基礎から固める努力が大事です。そして一つ一つ整理して行動を起こしています。今こそリミット研究所のノウハウの蓄積が生かされるときです。    2、一体化する日中の生産、品質から輸送まで    最近の海外生産の状況は大きく変化しています。  まず品質です。中国では年々縫製レベルそして検品物流体制が向上しています。一般衣料はラベルまで付けて発送先別に分類し、コンテナで日本に着けば各店舗に直送しています。検品物流センターが次々と設立されています。一時は神戸港の近辺の検品修整工場が大繁盛と聞いていました。それが中国に移ったのです。  もちろん問題もあります。中国の場合、検品は政府機関(商品検査局)が行う業務とされ、検品業はサービス業に分類されて独資での参入は禁止されています。でき上がり製品の検品で見つかった不良品は修整に大変なコストがかかります。縫製中の修整は簡単にできます。仕上がり製品の検品は、縫製を知らない人の発想だと思います。  問題はもう...

2001年 7月号

   1、予感したときにはもう遅い?変革への行動    いつも大変お世話になりありがとうございます。  7月は毎年売上げが少ないのですが、今年はいつになく大きな変化を起こす嵐の前の静けさか、何か不気味な感じです。今後売上げがどのように推移するのか、そしてどのように対策を考えて行けばよいのか。経営者としてどのような考え方で対処するか、考えを巡らせています。皆様はいかがですか?   平成5年の好景気から不況への転換期では行動を起こすことが非常に多くありました。リストラ、工場閉鎖、生産の中国移転そして頭脳分野の充実のための研究所の設立、情報システムの向上、得意先満足度の充実などです。商品面では昨年より、ニューオフィスユニフォーム、ビルメンテナンスユニフォームの分野を従来商品とは別カタログにしました。価格表示は上代価格ではなく販売価格を表示して、別会社の夢パレットの役員が得意先を訪問し商品の説明をして販売促進に務めております。  さらに、中国では、工場に働きながら日本語情報システムを勉強する学校も作りました。目的は人件費の安さを生かしてのソフト開発を日本から受託することです。来年から稼働です。開校のきっかけは、2年前、ある日本の情報システムの会社から、5年先には日本の情報システム開発がインドや中国などの企業に価格で負けて消滅すると聞かされたことです。しかし5年先ではなく、2年後の今、激震中だということです。予感として感じたことが実態となって迫ってくるまでが、大変短くなっています。予感して直ぐ行動を起こしても、手遅れのことが多くなっています。実感してから行動をおこすようでは到底時代についてはゆけません。    2、もっと迅速で効率的な行動を    先程のニューオフィスユニフォームは、企画から縫製技術の研究準備までに5年を要しています。開発の過程では失敗商品の廃棄、人件費が大変な金額です。この資金は全てリミット商品の利益から出しています。リミット商品を安売りすると資金がなくなり開発は止まってしまいます。また、商品価格を維持することはそれに値するサービスを提供しなくてはなりません。それでリミットは苦情電話ゼロを目指して頑張ってきました。その結果、苦情電話はほとんど無く、目標は99パーセント実現しています。今後の厳しさを考えて色々な分野を軌道...

2001年 6月号

   1、不況下、5年前の努力に今答えがでる    いつも大変お世話になりありがとうございます。  5月初旬は大変好調な売り上げで、業績が前年を下回ることはない、と報告がありました。ところが20日以降急激に変化し、結局売り上げは落ちてしまいました。考えてみますと、会社の倒産や人員整理で失業者が増えているときにユニフォーム業界の売上げが増えることはありません。同業各社では今年の秋冬物の生産計画は大変厳しい認識のもとに減産体制にあるようです。私もこれからが本格的な生存競争になると思っています。小泉政権は本格的な構造改革に取り組むようです。金融機関の不良債権処理が進む中で倒産が増えて大変な状況になると思います。ユニフォームを買うことで売上増が見込めるなら購入するでしょうが、経費が増えて利益が落ちるのであれば、耐用期限の先送りなどで買わない努力をするのが普通です。  リミットは今日のような厳しい時代を想定し、5年前より人員整理をし、工場を閉鎖して国内生産から中国での生産に移行しました。そして社員を優秀な人材に入れ替えました。その結果、サプライチェーンが完成し強力な管理体制を作ることができました。人員整理も早くからしていましたので、退社した社員は各人の能力に応じて他社に勤めています。こんな優秀な人材を何故辞めさせたかと理由を聞かれた元社員もいます。5年前だから人員整理ができましたけれど、今の再就職が厳しい状況では私のような非情な人間でも人員整理はできません。色々と批判をされながら早く行動したことの答えが今になって出たと思っています。    2、最悪を想定した種まきの積み重ねを    戦後50年を過ぎて備後地区でも、二代目以降の経営者が増え、その年齢も50才以上の方が多くなってきました。優秀な方も多くおられますが、多くの方がどん底の経験がありません。それが対策面で大きく反映します。私の行動は二代目から見ると異常な行動と思われるほど過激です。どん底を経験した者はそのときの苦しみを二度と味わいたくないと強く思うので、最悪の事態を考えて行動を起こします。当然、そこまで考えなくても、という意見が出てきます。往々にして二代目はこの意見に従います。その結果がどうすることもできない困難となって立ち現れます。幸か不幸か内部留保が充分あれば、悩むだけで行動は起...

2001年 5月号

   1、日本一のファッションメーカーへの挑戦    いつも大変お世話になりありがとうございます。  今月は夏物の最盛期で、売り上げも昨年より少し増えるのではないかと思っています。夏物最盛期の5月17日、受注残が38万円と社内電子掲示板に出ていました。私は5月の夏物最盛期に何かの間違いではないかと思い、確認のために聞いてみると、間違いありませんでした。ただし販売店の都合で月末までの納期指定は商品を確保していますので、受注残には入れていません。受注した商品がほとんど即日出荷されているのです。私はこの数字を見て、リミットも若い世代が数字の面では大変進歩したと思いました。商品が間に合わず、お客様よりしかられることが長年続いた時代とは隔世の感がします。  商品を山に積んで納期に間に合わせることはできるけれど、それでは在庫資金で行き詰まります。資金の余裕がないので在庫は限りなくゼロ、納期は即納。こんな無茶な目標を立てて行動を起こしました。こんな無茶な目標に挑戦ができたのも、繊維の経験者が居なくて素人集団だから素直に聞いて努力してくれたのだと思います。繊維の経験者が生産計画をしていたら、そんなことは不可能と最初から挑戦をしていなかったと思います。大きな夢を持って挑戦をし続ける事で結果が出たのです。  そして今、さらに次の大きな夢を描いているのです。若い世代が20年、30年かけてもユニフォームメーカーから日本一のファッションメーカーに生まれ変わると言っています。そのために社員の半数は総合研究所にいます。日本一のファッションメーカーに変身すれば、発展途上国からの追い上げがあっても人間が裸で生活をしない限り生き残ることができます。繊維業界は今大きく変わらざるを得ません。少しでも現状に安住すれば必ず発展途上国のメーカーの攻勢に消え去るときが来ます。    2、情報化時代の経営者に求められる非情さ    3年前ぐらいからERP、SCM、MT、EC等インターネット化に対して盛んに英文字略語やカタカナの文字が登場してきました。私は外来語辞典で一つ一つ調べ簡単なことを解りにくく書いていると感じつつ雑誌や本を読みました。それでも情報化時代を盛んに宣伝する言葉が解らず最近ついてゆけません。私のコンピューター人生20年は一体何だったのかとも思うようになりました...

2001年 4月号

   1、新規事業に挑戦    いつも大変お世話になりありがとうございます。  3月の売り上げは芳しくありませんでした。4月は横ばいでしょう。今年は大変厳しいと思います。十数年前にご子息の結婚式に招かれたある老舗販売店が倒産しました。結婚式はその地域の有力者が列席していて盛大な結婚式でした。ここ備後地区も大変厳しい状況です。その主な原因はユニクロの低価格戦略です。備後地区のカジュアル服業界は、作業服の不況でも大変好調でした。  そのカジュアル服業界が大変厳しい状況になっています。大手スーパーがユニクロに対抗した価格を出すには、アパレルメーカーの利益をゼロにしても負けると思います。しかも新聞には三井物産がイトーヨーカ堂と商品政策や物流面で提携し取引拡大をめざすと発表されました。ユニクロは商社に全面委任ではなく、一部のみを委託して手数料が1パーセントだと新聞にでていました。一般の手数料ではこんなに安くはありません。  最近、ユニクロの情報システムがマスコミで紹介されています。考え方に共感する点が多くあります。ユニクロは単品大量生産で低価格、リミットは多品種少量生産で高価格です。これが両社の違いです。価格に対する考え方が真反対になりますので競争相手ではありません。備後地区の業界がユニクロにより苦境になることは誰もがなんとなく理解していたと思います。しかし好調のときは問題を先送りにします。伸びてゆく会社と落ちてゆく会社の差は何か。伸びる会社は絶えず新しいことに挑戦しています。  新しいことに挑戦することは最低3年から5年は赤字になります。その怖さ故になかなか挑戦できないのです。新しい挑戦を避けた方が目先の利益がでます。リミットの歴史をみても、絣のモンペイから男子の作業服そして女子の作業服、次はオフィスユニフォームと技術の向上に挑戦を続けてきました。そして次はファッション衣料に挑戦を、と言っています。人間が裸で生活しない限り、その時代に必要な衣料を作れば生きて行く道は必ずあると言っています。  中国との関係においても合弁ではなく困難な独資を選び、貿易実務も経験のない女子社員で直接貿易を手がけてみたり、無謀ともいえる挑戦の連続です。あくなき商品開発のため社員の半数が開発要員です。その結果、未だに本社ビルを持つこともできません。今までの投資金額は膨...

2001年 3月号

   1、ITによる構造的変化が加速    いつも大変お世話になりありがとうございます。  この3月の通信と一緒に『NECマガジン』をお送りします。リミットの記事が掲載されたこの雑誌はNEC本社から毎月3万部発行されております。事務所の写真に出ている6名は受注、情報システム管理、生産計画そして貿易業務をしている社員です。貿易業務は商社を介さず直接貿易をしているので女子社員2名が業務に就いております。中国との連絡も2名が主にしています。書類はもちろん中国語ですが、マニュアル化をして中国語が分からなくても理解できるように工夫をしています。写真には出ていませんが、他に財務兼総務が2名おります。研究所の方は全員企画部門で、男子1名女子5名で運営しております。内2名は中国語科卒です。研究所の写真に出ている白髪の女性は、東京より毎月来ていただいて指導をして下さっている先生です。日本のパタンナーの中では草分け的な存在です。他に配送センターに2名、生産センターに3名おります。リミットは少数精鋭です。  この度の雑誌掲載はNECコンピューターの一つの分野で最優秀を頂いたのでその取材でした。「社長は独学でコンピューターを勉強して・・・」と書いて頂きました。私のコンピューター人生20年の歴史の最終でこのような記事を掲載していただき、構築した知的資産を次の世代に託すことができたことを大変幸せに思っています。NECはリミットのシステムソフトを販売したらどうかと勧めてくれました。しかしこのソフトを利用するには、定価販売とか在庫が正確とか厳しい条件が前提となり、一般に使用するには無理となりました。  今年初め、東レ・帝人・NECで「ファイバー・フロンティア社」を設立したと新聞に出ていました。この会社は素材の生産で提携します。そして先日、東レ、帝人、商社そしてファッションメーカー十四社と提携して、新会社の「コロモ・ドット・コム」を設立したと出ていました。素材メーカーから小売りまで情報ネットワークで結ぶシステムを作り、受発注ができるシステムを二、三年で構築すると報道されました。  最近になりリミットの情報システムを無償提供して情報会社「ファイバーネット・ドット・コム」を設立する話も持ち上がっています。ファイバーネット・ドット・コムは日本語ドット・COM、ローマ字ドット・C...

2001年 2月号

   1、海外生産時代の生き残り策とは。    いつも大変お世話になりありがとうございます。  新聞によると低価格の輸入品の影響による経営危機でタオル生産業者が輸入制限を申請したと出ています。同様の問題が私達作業服の生産業者にもあるようです。  リミットも商品の即納率100パーセントを目指し国内生産比率30パーセントを維持したために年間1億円のコストアップになった経験があります。生産コスト高による倒産を危惧した私は、即納率低下を理由とした反対論のなか国内生産15パーセントを社長命令として実行させました。結果は即納率を維持しコストダウンを達成したのです。反対論の心理は楽な道を選ぼうとしただけです。  生産を中国に移すことは、将来は生産のすべてを中国に渡すことです。その時に何が日本にあれば生き残れるか。それは何を作れば売れるかを考える企画力だと思います。日本市場を分析し優れた商品の企画と中国の生産者とのバランスが取れた強い絆の協力関係が続けば問題はありません。  問題が起きて対策を考えるのでは遅すぎます。40年前私は、今では知る人もない絣のモンペイを縫製していました。工賃が安い地域を求めて山奥に入り、そして最後は山陰の出雲まで逃げ続けました。その先は日本海です。逃げる所が無くなり、工賃が高く維持できる技術力と自社ブランド縫製をめざし自社工場で自分の歴史を作る決意をしました。モンペイから作業ズボン、男子作業服、女子作業服、女子ユニフォームそして現在はオフィスユニフォームに挑戦しています。  やがて一転、国内自社工場を閉鎖して中国に移転、変化決断の連続でした。この変化決断の連続が現在生き残っている原因だと思います。そしていつも軌道に乗った分野と赤字の分野の両方を持っていたことです。5年先はリミットは又、大きな変化をしていると思います。今、中国と連携して情報会社を作る準備も進めていますが、これもその変化の要因となるでしょう。    2、日中の違いを理解するために    前回、昨年12月の中国行のことを書きました。その時に起きた大きな問題を書いてみます。  2泊3日なのでホテルと総経理の家で会議することを総経理の娘を通して連絡しました。総経理より工場には来ないのかと2度確認の連絡が専務にありました。そこで社内では何か社長が行く...

2001年 1月号

   1、新世紀我出社せず、されど……。    いつも大変お世話になりありがとうございます。  21世紀、新しい時代を迎えるにふさわしく、リミットでは私の時代から若い世代の時代へと事務的なことから対外的なことまで全てが移行しつつあります。私の仕事は3年先の目標、方針を出し、物の考え方を教育することになっています。私への来客があるときだけ出社します。第1金曜日の午前5時からの役員会議、土曜日午前5時からの部門長会議にも今年からは出ていません。こう書きますと、引退して会社のことは若い世代に全て任したように思われるでしょう。実際には以前より会社のことがよく分かるようになりました。  午前5時に会社のメインサーバーが自動で稼働します。私はインターネットでそのサーバーに接続して、社内掲示板を見ます。売上から受注残、クレーム情報、各部門からの情報を閲覧します。早朝色々なことを猛烈に感じます。問題点をメモ書きし、午前7時頃から一斉に取締役に電話をかけます。社内掲示板で意見を聞くと、全員が真剣に返事を書くので勉強になります。だから自宅にいても、頻繁に出社していた頃以上に会社のことが詳細に分かるのです。そして次々と改革改善の考え方も出てきます。朝4時から6時までは大変楽しい時間です。  経営者は都合がよい場所で指図ができるようになりました。インターネットのおかげです。21世紀はビジネス以外にも、今までは考えられなかったことができるようになるのではないでしょうか。    2、IT革命第二局面へ    情報技術(IT)バブルが崩壊しました。米国ナスダックや東京市場の情報通信株の大幅な下落も起きています。しかし情報技術はこれで終わったのではありません。IT革命の第二局面に入ったのです。崩壊した原因は根本的な考え違いをしていたのです。例えば販売店を開業するときには、商品の仕入れ、販売ルートの開拓から電話、ファックスまで色んなことを準備しなくてはなりません。そのことを無視して電話とファックスだけを準備して商売を始めようとしたのです。それでうまく行くと誤解した人が潰れたのです。インターネットは電話やファックスと同じレベルのビジネスツールです。受注や通信の手段だけでは商売にはなりません。  これからは顧客基盤や社会的信用で優位に立つ伝統的大企業が様々なマ...