2018年 7月号
この度の平成三十年七月豪雨により、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 一、未曾有の大水害から立ち上がる 気がつけば、蝉時雨が聞こえていました。八日午前、窓の外は曇り。いつもは窓から車の轟音が響いてくる国道二号ですが、今日はまばらで時折サイレンを鳴らしながら走る車両も。ひどく続いた豪雨の後、待ってましたとばかりに土の中から一斉に出てきたのか。空の青を見上げることもなく流された仲間の分まで鳴いているような気がしました。 私のマンションや会社事務所が入居しているビルがある福山駅近くでは、大雨が二、三日降り続きましたが大きな被害はありませんでした。福山市新市町の工場や島根県雲南市の工場も大丈夫でした。安否をお気遣いいただいた方々、本当にありがとうございました。それでも同じ福山市でも河川の決壊により土地の低い場所では浸水し、山では崖崩れやダムの決壊が相次ぎました。小さな女の子が亡くなりました。従業員の中には断水や通勤手段を断たれ、苦労した者もいましたが、幸い今は平常の生活にも仕事にも戻れております。 最終的には十一府県で大雨特別警報が発表され、死者数が二百人を超える甚大な災害となりました。先月号のリミット通信で防災の備えを発したばかりだったのに、まさか身近な広島や岡山でこのような災害になるとは思ってもいませんでした。地震や津波や台風でもなく、大量の水蒸気が同じところで積乱雲となり豪雨を引き起こすバックビルディング現象が主要因でした。地形と気圧配置、梅雨前線の停滞が運悪く重なり記録的な大雨になるようです。その結果、広島県南部だけでも豪雨による土石流や土砂崩れが五千か所以上で発生したそうです。 「平成三十年七月豪雨」と命名され、災害発生から三週間。日を追うごとに被害状況が明らかとなり、被災者は日々復旧の道を歩んでおられます。天災経験が少なく、防災対策が万全とは言えなかった当地が、日を置かずインフラ復旧などが進んだ背景には、多くの方々の物心両面のご支援と、これまで日本が経験した震災の遺訓があったからに他ならないと信じます。 次は日々の生活を取り戻す活動が主になりますが、農林畜産水産業の復旧にはこれから長い時間とお金が必要になります。この辛い経験を次世代にどう残すか。人類の英...