2007年 5月号
一、メスを入れた青島の現状 いつも大変お世話になりありがとうございます。 四月に二泊三日で中国青島工場に行ってきました。 ここしばらくは、生産計画の精度向上とインターネットでの連絡で納期が正確に流れており、長い間中国に行く必要がありませんでした。独資工場を設立し、この十年間にリミットは財務管理・生産管理すべての管理体制で究極の管理体制ができました。その反面、青島の独資工場は、生産管理ができても財務の重要性を理解せず、どんぶり勘定でした。今この問題にメスを入れる時期が来ていると感じての訪中です。その時期とは、私の時代から専務に引き継ぐ段階で、不明・不可解な分野は切り捨てる方針をたて、撤退か継続かの問題が起きたことは昨年の十一月のリミット通信と今年の二月号に書いたと思います。 本来このたびの訪中は、今後の方針を考えるために二年ぶりの副社長の行動でした。しかし私は、専務より副社長に同行し中国の状況を視察するよう勧められたのです。結果、来るべき専務の時代の最善の方法は何かと考えるまたとない機会になりました。私は常々、古い体制の中で旧態然とした人材を教育するより、それらを切り捨て、全く新しい人材を獲得する方が、例え苦労があってもより良い結果が早く出ると考え、スクラップ&ビルドで社員の入れ替えを繰り返してきました。これは中国でも適応すべきことだと思います。 専務は、総経理の娘を日本の大学に入学させて青島伸栄服装有限公司の後継者に育ててきました。この経過をふまえ、この娘を総経理にしました。そして会計士も若い人に変えました。親が雇っていた会計士を変えることは親子の争いの大きな火種になります。そこで総経理に退職金を払い、職を退かせました。日本でも多くの会社が親子の意見相違で引き継ぎ時に争いが起きていますが、断固とした揺るぎない方針が必要です。ちなみに元総経理は冷たいやり方で最後は娘も切り捨てられると言って腹を立てています。 二、中国の表裏と投資の心得 私が中国に最初に行ったのは十五年前です。当時は青島には直行便はなく、上海か北京経由でした。日本企業の多くは飛行機の便利のよい上海に行かれていました。しかし、どうしても上海は私の性格と合わず、いつの間にか北京、大連、天津と不便な北回りになっていました。青島は温厚な人が多く...