2007年 4月号
一、将来を見据え苦しい道を選択する いつも大変お世話になりありがとうございます。 先日、業界紙に香港企業が日本の商社に五五パーセント出資したことが報じられていました。私は、作業服の分野では、必ず中国の企業が直接日本市場に販売する時代が来ると相当以前から予測していましたので驚きません。しかし、一部では問題視しているようです。中国の縫製メーカーが日本を市場にすることは、誰でも予測することができたと思います。しかしその時点の業績が好調に推移していると、ついつい対策を先送りすると思います。次の時代を考えないのです。リミットの中国進出は、この時代を展望していました。 その方法の一つとして、中国工場の日本支社を設立しました。とは言っても、女性向けの商品では、未だこの会社が完全に活かされていません。メンズ製品であれば、中国製品に対する安かろう悪かろうのイメージをもたれていたとしても違和感はないと思います。企業イメージにも問題はないでしょう。しかし、中国製の婦人製品の場合だと企画・デザイン・センスが日本人に全く合いません。やはり、生産は中国でするのが最適であっても、企画は日本国内でということになるでしょう。 リミットの歴史を省みると創業初期は、地元の問屋へ販売していました。問屋は全国の小売店に販売していました。当時の経済評論家が「問屋無用論」を主張したように、問屋はものづくりせず、楽な商売をしていました。リミットの「同じ道が二つあるなら苦しい方の道を選ぶ」の哲学で、苦しいメーカーの道を選び、苦しい道が長年続きました。問屋は必ず行き詰まると考えていても結果が出るのには三十年かかったと思います。同様に中国からの進出にしても、結果が出るのは先になります。その間にメーカーは今から準備しなくてはなりません。ユニフォーム業界も、日本で中国企業と競争する時代に入りました。日本支社設立の選択は、この苦しい道の選択、即ち成功の選択だと確信をもっています。 二、継続する粘り 先月のリミット通信で粘りの人生について書きました。問屋との取引も三十年、四十年粘りの歴史で生き残りました。人間に「粘り強い人」と「飽きっぽい人」がいるように、企業にも「粘り強い企業」と「飽きっぽい企業」が存在します。物事に対して組織全体で粘り強く取り組むことのできる企業...