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2006年 11月号

    一、青島伸栄服装有限公司設立の重い問題  いつも大変お世話になりありがとうございます。  最近、悩み事があります。それは、これから書こうとするリミットの中国工場についてのことです。リミットは、世代交代の時期にあると私自身が自覚していて、専務への引き継ぎがいよいよ最終段階に入っています。現在最後に残っているのが中国工場の引き継ぎです。青島伸栄服装有限公司設立は一九九五年ですから、生産が始まって十年になります。その当時は素晴らしい総経理との出会いがあり、私は幸運な巡り会いで大変喜んでいました。そして五千万円あげるから個人で会社を作ってくれるように頼みました。しかし総経理は、「それは出来ない、五千万円貰って設立したと説明しても誰も信用しない。周囲の皆は何か悪いことをした金だと思い、誰も相手にしてくれなくなる。」と言って断りました。そこで独資工場設立の話になりました。申請書の準備期間を入れて二ヶ月という早さで設立できました。  当時は日中友好商社経由で仕事を出していましたが、これが倒産してリミットの直取引になりました。やがて総経理の娘そして息子が相次いで来日し大学に進学しました。その過程では数々の問題が起こりましたが、それを解決し道を拓いてきました。設立当時は私も度々中国に行っていました。最近は生産計画のレベルアップで正確な流れになりました。そしてインターネットでの連絡等が便利となり、行くことがなくなりました。それほど安定した関係だと思っていたのです。   二、改革変革を怠った結果  ところが三年前、青島伸栄服装有限公司が新しく大きな工場を建設したときから少しずつ、考えの相違点が見え始めました。既にリミットが高級婦人物の生産販売を始めていたので余計にそう思えたのでした。その工場の竣工式の日危機感を抱いた私は「今のままでは十年先には倒産する」と総経理に言って帰りました。福山大学在学中に知り合った台湾出身の青年と結婚した総経理の娘は、子育てに専念していたのですが、やがて子供を台湾の親に預けて、娘自身も婿とともに総経理のもと、工場で生産管理をするようになりました。生産管理はできても財務が解らない。今の総経理が居る限り、財務体質を変えることはできませんでした。  その間十年リミットは、三度の非常事態宣言という激動を切り抜け、その都度マ...