2006年 8月号
一、 家内の安寧のために いつも大変お世話になりありがとうございます。 八月はお盆で皆さんも先祖の墓に参られたことと思います。 事業が行き詰まった時先祖の墓に参り考えたら道が開けた、と耳にすることがありますが、これは原点に帰ると理解すべきでしょう。私は四国八十八カ所巡拝に現在五十五回目を回っています。その間、数々の霊的な経験をしました。そのことについて書いてみたいと思います。 七年前、家内が悪性リンパ腫になり入院し、この病気の権威といわれる先生から余命三ヶ月と言われました。現代医学では治らない、と言われるので以前から知っていた霊感の強い人に相談しました。その人から家内の両親の出所に祠(神仏を祭った小さい社)が見える、そこに参りなさいと言われ、素直に行動を起こしました。母親方には家内の従兄弟が世話をしている弘法大師堂がありました。また父親方では、五十年ぐらい昔は山の中に小さい祠があったけれど今現在はないとのことでした。当時を知る近所の年寄りが集まり探しに行ってくれました。祠は全て壊れていたので鍬で掘ってみました。すると道もなく大変な場所の土中から弘法大師像が出てきました。そこで小さい社を造って祭りました。そして掘り出した一部を持ち帰り、私の山に弘法太子堂を造り祭りました。 家内は高熱が続いていたのですが、母親方に参ったその日から下がり始めました。手で触って解るくらいの大きなリンパ腫が徐々に消え、一ヶ月ぐらいで無くなりました。 二、父の精神力の強さを念う また、こんなこともありました。私の父は私が満一歳の時、岡山大学病院から行先不明となりました。最後の手紙に「余病併発の憂いあり、再び教壇に立つ望みがなくなった」と書いてありました。私は、余病が神経衰弱だと聞かされていました。そしてそれは、父の意志薄弱に原因があり、それが私の気弱な性格として影響し、またそのために結核になり長年苦労した原因になっていると信じ込んでいました。 一昨年三月、実家の家のタンスを整理していると、伯母に送った父の最後の遺書や媒酌人に送った葉書などが出てきました。それには「全て子供のことをよろしくお願いします」と書いてあります。それだけ子供のことを思うなら、なぜ生きて努力しなかったかと理解ができませんでした。 私の肺は肺結核...