2006年 4月号
一、中国、福州市の店舗兼工場視察へ
いつも大変お世話になりありがとうございます。
三月の初めに急に中国、福建省の省都の福州市に行きました。専務も同行すると言ってくれましたので二人旅になりました。今年からは大阪から福州市への直行便がありません。福州市には日系企業が少ないのでしょう。同じ福建省でも厦門(アモイ)は五大経済特区の一つになっており、東京と大阪から直行便が飛んでいます。福州市と厦門の間は三百キロ、高速道路で三時間です。そこでこの度は厦門に行き、福州から迎えに来てもらいました。
この度の目的は、新会社の登記申請中、という状況が背景にあります。この会社は生産会社で設立申請をしていますが、街の繁華街に服装研究所兼販売店舗事務所を作ってほしいと現地に大変難しい要望をしていました。三月に入り、店舗と工場を内装中との連絡があり、その状況を見たかったのです。街中の大通りに面した店舗街の一室で、二階は壁を造らず広い空間になっていて工場にもなります。家賃も安く大変よい環境でした。
二、投資ではなく、賃貸入居の重大な意味
福州の独資会社の社名は、「福州宏正服装有限公司」となっています。私は服装ではなく商事にしたかったのです。しかし商事会社にすることは、中国では日本でのように簡単にはできません。仕方なく服装にしました。資本金は最低の五十万元(700万円)で設立しました。総経理は広島大学修士課程を出ている二十八歳の見るからに実業家タイプの青年です。中国進出は工場団地のような場所で大きな土地を買うことが常識になっています。青島の独資工場は総経理の努力で広い土地と大きな工場を市政府から借りて、土地そして建物には投資していません。
このたびの福州市での新会社設立も大変非常識なものがあります。それは繁華街で商品販売ができる店舗と事務所そして小規模工場を造り、それを賃貸での利用を提案しました。五年間は仕事より勉強の期間として、過剰な投資を避けることが、結果的には損が少なくて利益になると話しました。これまでの中国における日本からの投資の流れを考えると非常識な考えです。
そのストーリーはこうです。市街地店舗の目的は、中国でのユニフォーム販売を模索する目的です。販売すべき製品は青島伸栄服装有限公司からいくらでも供給することができます。青島工場の生産力=供給力に問題はありません。過剰な新規投資は、中国市場を客観的に見ると高いリスクが予想されます。この五年間に必ず今の体制が崩壊し、新しい時代に入ることを想定しなければならないからです。
三、07年中国のバブル崩壊予想
ストーリーはここからが重要です。
情報によれば、日本に中国へ大きく投資させて、二〇〇七年当たりから、アメリカは特別税法で資金を本国に還流させて乗り切ると聞きました。日本にバブルの後始末をさせようとしています。それが本当なら、日本は再び大変なことになります。歴史は繰り返すと言われます。今まで約二十年おきに大きなショックが起きています。銀行が優良企業に貸し出しを増やしています。これはバブルの始まりです。警戒警報の時になったのだと思います。
この状況で福州市に独資会社の設立です。総経理にも中国も五年の間には大きな変化が起きてくる、しかし資本主義での好景気ではなく、共産主義の中での好景気。必ず今の体制が崩壊して新しい時代にはいる、と申しました。それ以前に投資していた財産はどのようになるか解りません。そのように考えると、崩壊後から始めた方が後始末に費やす労力はいらない訳で、事態は有利に展開すると考えました。仕事をして後始末が起きるより、勉強して給料を払う方が金儲けと話しました。こうした状況が今回の方針を出させたのです。
四、二度の失敗、その教訓を次世代へ
今までの私の歴史の中で、バブルの失敗が二回あります。一回目は一九七〇年、第四次中東戦争をきっかけに石油危機が世界を襲った時です。石油価格が二ヶ月で約四倍に値上がりし、「狂乱物価」となりました。トイレットペーパー買いだめ騒動や、ガソリンスタンドの休日休業、新聞の減頁などが起きました。その時に生地も値上がりが激しく、焦りで買いました。幸いにリミットには生地が入るルートがあり、資金力もあったので買いにでたのです。しかしこれが裏目に出て三分の一に値下がりしました。売れば売るほど損が出て、大変な状態となりました。その結果資金に行き詰まり、銀行に不渡りを出しますと申し出ましたが、結果的には助けられました。倒産寸前で生き地獄のような状態が十年続きました。今でも生き残れたのが不思議に思います。
それから十七年後の一九八七年頃バブルといわれた時代に、大量生産時代ではなく、多品種少量生産の時代で企画力が大事な時代がくると考え、大阪進出を考えました。そして大阪商工会議所のそばのワンルームを一億円で買いました。銀行は大量の融資をしました。直後にバブル崩壊が始まりました。一億円で買ったワンルーム事務所が現在九百万円です。オイルショックの経験で売上げが半滅することを予測し、猛烈な後退を始めました。この点はオイルショックの時の経験が生かされました。早く行動を起こしたので、売上げが半減しても利益を出せる体制をつくることができました。一億円の事務所は関連会社に一千五百万円で売却して売却損をだし、処理して銀行に返済しました。しかし二回目も無傷ではすみませんでした。
再度申しますが、あれから二十年、二〇〇七年には三回目の危機が始まろうとしているのです。
人間は大きな痛手を負ってもすぐ忘れ、直ぐに同じ過ちを起こします。私は二度も失敗しています。オイルショックそしてバブルの崩壊、大試練を受けました。現在の状況は「バブル期を上回る」と、こんな景気のいい話が増えてきました。大型投資が始まっています。人間の人生で二十年ごとにある大きな節目を、三回上手に切り抜けた人は大変な資産家になると言われています。正確に言うと二回のチャンスを逃して私は失敗したのです。三回目のこの度は絶対に上手に切り抜けたいと思います。特に中国に対しては大きな痛手を受けないように、中国の関係者にも教えながら混乱なく切り抜けたいと思います。この度は若い世代にバブルのマイナスをチャンスに変えることを教えたくて二回の失敗を書きました。
二回の失敗で倒産させず、若い世代に引き継がせた守り神に感謝します。
2006年4月24日
笑顔着
リミット株式会社
代表取締役 有 木 伸 宏
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