2005年 3月号
一、これからの非常事態対策とは
いつもお世話になりありがとうございます。
二月の業績は芳しくありませんでした。場合によっては非常事態を宣言する事態か、という心づもりで三月の推移を見ていました。幸い三月は好調ですので安心しました。
私はいつも、非常事態を宣言した場合にはどんな行動を起すかを考えています。現在会社組織は究極といえる少数で極めて大きな業務をこなしています。ということは、今までの非常事態宣言時のように、人員減による人件費削減は限界点に達し、また、国内生産から中国生産切り替えによるコストダウンのいずれも限界にあります。そのような状況の中で、三月末に中国語ができる社員が結婚退職します。仕様書等の中国語はマニュアル化しているので中国語を知らなくても問題ありません。
若い社員からは派遣社員を入れるアイデアが出されたのですが、私はそれを慎重に考えるように言いました。究極の最低人員で管理体制を作って来たのですが、それは苦しみの連続でした。今後はリストラする苦しさを再び味わいたくないと心底思っています。現在の頭脳組織までレベルを引き上げられた理由は、激しく入替をし、人材レベルを上げ続けた結果です。その入替では罪の意識がなかったなどとは言えません。それだけに社員の採用は慎重にしなくてはいけないと思っています。
これまでで優れていた点は、営業が来ないから、営業が必要ない通信販売にしました。管理も人材が来ないから、誰でもできるコンピュータシステムをつくりました。そして判断業務もマニュアル化し、縮小する努力を二十年してきました。その結果が少ない人員で、大きな仕事ができるようになったことです。よって今後の利益増加対策として、リストラでの人件費削減は考ず、利点を生かし、利益を頂ける商品開発そして販売以外ないと信じて行動します。
二、情報が共有できる社内体制を実現
今年はコンピュータシステムをオープン系に再構築します。現代はインターネットオークション等で商品を買う時代です。二十一世紀は大量生産から多品種少量生産時代、個性の時代、質の時代、大企業から小企業の時代と劇的な大きな変化が起きます。大変面白い時代になってきました。ここまで組織を合理化できた大きな原因は、部課長などの中間管理職を置かなかったからです。全て経営者の下に横一線に並べました。そして各部門のグループ長を作り、全ての情報は上から下に順に行くのではなく、上から全員に、直接、正確に伝わるようにしました。つまり情報を瞬時共有できるようにしました。その為、グループ長が自分だけの情報として机の引き出しに入れて独占しないようにしました。私の指図が全員に正確に伝わる方法を考え続けたのです。個人机を廃止し丸テーブルにしたこともこれを促進させました。今は電子社内掲示板で全ての情報が掲示されているので、全員が情報を共有しています。しかし昔は常識として経営者、部長、課長、係長と上から下へのトップダウン式の指図が当然と考えていました。それだけに違和感があり、抵抗もありました。役職は情報を個人が持って、部下が聞かなくては仕事ができないようにしているのです。それで役職の権威を保つことができます。リミットは誰が病気で休んでも、情報を共有しているので困ることのない、そして誰が突然退職しても困らない組織作りに長年努力してきました。社員の採用が大変困難な時代でも、突然退職を申し出ても即私物だけを持って帰らせていましたが、やはり業務は宙に浮き、支障をきたしていましたが意地がありました。その意地で販売管理、生産管理、貿易管理、財務管理、各一人の組織ができました。販売管理も納期が正確そして価格の交渉無しにすれば、販売の仕事はありません。生産管理も正確にすれば、混乱は起きません。貿易も生産計画が正確なら混乱は起きません。貿易手続きの半分以上は自動化しています。また、各管理部門は独立しておらず、相互に他の管理部門を応援しているケースもあります。管理部門は全てが連携して一つになっています。経営者は地獄、社員は天国の時代のお陰で、究極の管理体制ができたと思っています。
三、自らつくり理解する財務諸表
先日、ある情報誌に後継者の養成で財務の勉強をさせるには、会計事務所が作った毎月の試算表をただ見るだけではなく、表計算ソフトでパソコンに入力すれば、三年で財務を理解できると書いてありました。私は自分の経験にてらして、全くその通りだと思います。
私は仕訳すらも知りませんでした。それで理論からはいるのではなく、結果の数字から入りました。預金等残高はそのまま表計算ソフトに打ち込みました。解りやすくするために、打ち込まなくてはならない項目には(打)と入れておきました。そして合計のところは同じ数字になるところを探して式を入れました。貸借対照表そして損益計算、製造原価になると、数字合わせが理論を理解していないので大変苦労しました。そして最後の利益の数字が会計事務所の数字と合うまでに二年かかっています。
次は資金繰表を作りました。これは大変でした。年間の資金繰表ができるまで三年はかかっていると思います。売上の推移によって、在庫から必要資金、借入全てに影響します。資金繰は売上の判断が基になるので、経営者でなくてはできません。在庫の推移、借入金が必要な月、借入金残高そして利益、全て連動で動くように計算式を入れました。若い世代はそれを利用し、今年の決算はこのようになると説明してくれます。私が作った生産計画は表計算ソフトの能力そしてハードの容量が小さく、品番別しかできませんでした。現在は二百五十列、六千行(一万五千行可能)で色別、サイズ別に全商品の春夏と冬物の二面に分け管理しています。ここまでくるには表計算ソフトの進歩とハードのスピードそして記憶容量の飛躍的な向上と共に長い年月によって進歩させてきました。
その後、素材発注から生地を中国に送り、日本の倉庫にはいるまでの年間の計画を完全管理ができるまでは、若い世代が完成させました。会計事務所の試算表を自分で打ち込んだことが、全てのデータ作りに発展したと思います。京セラの稲盛さんは、成功するまで継続すれば、失敗はない。中止すれば失敗になると言われています。会社の運命は常識では不可能だと思うことに挑戦することで大きく運命は変わります。二十年前、簿記の知識がない者が、試算表をパソコンに入れる行動を不可能だと思い、行動を起こしていなかったら、現在の会社状況が全て解る管理ソフトはできていなかったと思います。二十年経って、情報誌で裏付け記事が出たことを喜んでいます。
2005年3月25日
笑顔着
リミット株式会社
代表取締役 有 木 伸 宏
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