2005年 2月号
一、新規投資と無借金経営と
いつも大変お世話になりありがとうございます。
『日経ビジネス』に一部上場会社の四割が無借金ですと載っていました。武田薬品工業のネットキャッシュ(現預金+短期保有の有価証券・有利子負債)が一兆三千八億円と出ています。これからはキャッシュリッチ(現金余剰)の有効利用競争の時代です。現金余剰の使い方によって、会社の将来が大きく変わります。こんなに借金返済が進んでいるとは驚きです。備後のユニフォーム業界でも大手は戦後五十年内部留保を充実して無借金になっていると思います。無借金になれば現金余剰の使い道によって、その会社の将来が大きく変わると思います。 しかし、会社の将来を考えるとすべて行動の目的は、会社のレベルアップであって会社はそのため投資はしなくてはなりません。リミットは今一所懸命に借入金返済に努力していますが、考えてみると無借金にするのはあくまでも手段であって、無借金になることで挑戦意欲を失うのではないかと考えることもあります。人間今が安定していれば、危険があることに挑戦意欲が起きません。会社が継続して生き続けるには危機意識をもって、その時代に対応した新しい何かに挑戦しなくてはなりません。挑戦の結果不安定になり、また努力して安定させ、再び挑戦して不安定に、つまりその繰り返しが会社の継続には大切だと思います。無借金を目指して投資を止め、新しい時代が来ても適応できなくなれば、会社の存続が危うくなります。この観点からリミットは積極的な投資をしつつ無借金を目指します。
二、変化のなかで問屋が消える意味
備後地区でも戦後から現在まで、昔は優良企業であった会社が次々と消えています。その原因の共通点は、新しいことに挑戦していないことにあります。リミットが最初手がけた絣の作業服は、今は着ている人もいません。絣の作業服から変化できず、廃業した人も多くいます。問屋も一時は大変景気がよい時代がありました。縫製メーカーが企画を考え、製品にして問屋に持って行くと値段をたたきます。そして問屋は地方の問屋または小売店に販売に行って、売れただけをメーカーから仕入れて出荷します。もちろん見本は返品します。問屋の財産は事務所と車だけです。縫製メーカーは工場設備、商品の企画縫製工員育成のために大変な苦労をしていました。 私は苦労している人が恵まれず、楽をして商品を右から左へと動かす人が恵まれているこんな馬鹿げたことはない。だから必ず問屋は潰れると思っていましたが、なかなかそのようにはなりませんでした。問屋の社長は、日曜日はゴルフに行って、優雅な生活をしていました。私は毎日朝三時に起きコンピュータでデータ確認し、昼間は前掛けをして裁断等工場で一所懸命に製品を作っていました。しかし戦後五十年を経過して、備後地区でようやく問屋はなくなってきました。問屋不要論が言われて三十年で姿が消えました。
三、変化の中で得たメーカーの自覚と挑戦
リミットは絣の作業服、男子作業服、女子作業服、事務服、高級婦人服へと変化しました。変化の度に後始末で大変な損害でした。しかし償却して必ず安定する時がきます。会社の継続とは、挑戦、後始末、混乱、安定を繰り返すことを忘れた時止まるのだとリミットの歴史の中で体験しています。 その歴史を知っていながら、大きな間違いの方向に行っていることを数年前に気が付きました。リミットは国内生産を十パーセントにして、中国生産に切り替えています。生産を中国に任せて、日本では販売だけの問屋の方向に向かっていました。これが間違いでした。一方、ユニフォーム業界はただ安さを求め、中国からさらに賃金の低い国に移動を考えています。安さを求めればどこまでも逃げなくてはなりません。リミットは、絣の作業服を生産していた頃、安い人件費を求めて備後地区から中国山地を越えて山陰まで行きました。最後は日本海の近くまで行き、その先が無くなりました。逃げられなくなれば最後は必ず行き詰まります。それからは逃げることを止めました。これは重要な歴史からの教訓です。 もし、素材メーカーがユニフォームを作り販売したら、全てのユニフォームメーカーは価格で負けます。中国の素材が向上し中国から日本に直接売ってきたら、中国に負けてしまいます。これからの販売方法がインターネットでの入札制になれば、世界から入札できる時代が必ず来ます。その時、最後に勝つのはユニフォーム業界では中国のメーカーだと思います。 日本で生き残るためには日本や中国の素材メーカーにはできないことを考え、行動を起こさなくてはなりません。リミットは一枚の注文でも喜んで販売する多品種少量生産、通信販売体制ができています。そして感性の面で中国ではできない高級婦人服に挑戦し、生産ができるようになり、ユーザーに直接販売を始めました。製品づくりの基本にかえり、日本工場で生産しても利益が出る製品を開発しました。逃げれば問屋になり将来は倒産に向かっていきます。メーカーであることを再認識し、苦労覚悟で物づくりのノウハウ蓄積に向かって、行動を起こさなくてはなりません。考え方が硬直化してしまうと進歩を止ります。常に心と頭は柔らかくして絶えず挑戦することを忘れてはいけないと思います。
四、青島近況
青島工場に行くと、必ず総経理の家を訪れます。それは青島中心街から車で四十分程の海岸沿いの別荘地にあります。海岸道路の両側には三階建ての別荘が何千棟も建っています。その光景は中国とは思えません。一棟二百平方メートルの広さで、価格は日本円で三千万円~四千万円だそうです。こんなに高いのにほとんど売れています。ところが、夜になっても明かりが全くなくつきません。誰も住んでいないのです。二〇〇八年北京オリンピックでヨットの試合が青島で開かれるのを見込んで、企業をMBO(経営者による自社買い)した人たちが購入しているからです。社長たちは共産党の幹部です。MBOの際に企業の株をかなり安値で経営者に売ったり、場合によってはタダで配ったりしたのです。 国有企業は企業価値が低いということですが、実態はわざわざ業績を悪くしたりして不正が多かったのです。それが民間企業に変わった途端、活力が出て収益が上がり、資産価値が急騰したのです。買っているのはほとんどが民営化の過程で潤ってきた共産党幹部です。この事を知り、不思議に思っていた夜真っ暗な訳が理解できました。
2005年2月25日
笑顔着
リミット株式会社
代表取締役 有 木 伸 宏
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