2002年 3月号
1、売り上げ50パーセントダウンに対応
いつも大変お世話になりありがとうございます。
今年もはや3月も終わります。依然、この業界がどちらに向いていくのか、誰に聞いても解りません。このようなことは初めてです。今まではいつも何パーセントアップとかダウンとか一般情報として聞いていましたが「今の状況は大変悪い」だけが今日の合い言葉です。それで私は自分で感じて判断をし、行動を起こしています。
現状での売り上げは、前年比の2、30パーセントのダウンです。私は前回のこのリミット通信に売上げ半滅もあり得ると述べました。そして、これの予想に則して行動しています。具体的には昨年の9月に売上げ30パーセントダウンという状況に対応すべく、生産の半滅を指図しました。生産を半滅させれば、夏物の在庫は今夏には正常になると考えていました。しかし売上げ半滅を想定すると生産を一段と落とさなくてはなりません。そこで中国工場には更に20パーセント追加して落とす指図をしました。
売上げ半滅となれば、ユニフォーム業界は壊滅的です。それでも生き残れる体制に縮小させた会社しか存在が許されないでしょう。一口で縮小するといっても大変です。日産自動車でも日本人の社長は長年の情にとらわれていました。外国人の社長は簡単にそれを乗り越えました。そして再生のめどがついたのです。
私もレベルを上げるため過去の人材を切り、新しい人材で新しい流れを作り続け、人材を切る苦しみも多く経験しました。その過程で、確固とした哲学を持ち行動を起こすのが早くなりました。管理ソフトの開発により少ない人員で大きな目標を達成し、社員が少なくなればなるほど円滑に情報が動き、全ての情報が解りやすくなっています。今では金融機関から何を聞かれても即提出できます。毎日の国内生産、中国生産の全てが解るようになり海外生産90パーセントでも納期を正確に出すことができます。20年の情報システム研究開発の歴史が、自信をもってデフレ不況に対処していける原動力なのです。
2、いつでも生き残る、ための20年
15年前、リミットは女子作業服日本一と株式上場に向かって、全社員と銀行や商社を招いて決起大会をしました。その会社が今、生き残りを賭けて縮小路線を必死に走っています。しかしリミットは弱気な受身の会社ではありません。積極的な意味での縮小路線を採っています。その基本方針は「いつも生き残るにはどのようにするか」と考えて変化させています。NEC本社でインターネットビジネスソフト部門の最優秀になったのも、20年の努力の結果です。人材入れ替えの連続で、リミットは社員がよく辞める、と言われ続けて20年、少数精鋭を実現しました。次世代経営者の教育も中学在学中に方針を決め、他社に預けず別会社を設立しその代表にして鍛えました。その会社も軌道に乗り、今は財務をリミットに統合してこの若い世代が業務を担当しています。その結果、私が銀行と交渉することはなくなりました。これも実現に20年の年月がかかっています。
商品の価格維持も頑固に守り通して20年近くになると思います。価格破壊の時代に価格を守り通すことは不安もあり、精神的に苦しみました。私の精神力だけでは価格維持は不可能です。意志が揺らぐと私の護り神が安売りを妨害するのです。
3、不安を見せず、強気で手形を廃止
2年間努力して、今年ついに手形発行を廃止しました。手形不渡りでの倒産は無くなり、売上げが半滅しても生き残ると確信を持っています。手形廃止を決意したのは、同族経営方式の本を読んでからです。その本には「社長は手形ゼロ貫徹する決意を固めよ。手形を発行している会社は潰れるといっても過言ではない。手形を出さないと同時に、短期の借金をしないということを徹底する必要がある。手形を止めれば、単純に支払が2倍になる。とたんに資金繰りが苦しくなる。だから借金をする。これでは甘えが出る。資金に甘えが出ると、いくら手形をゼロにしようといっても、それは戯言と化してしまう。よほどのことがない限り、つなぎ資金調達はしないということを誓う必要がある。悪循環を止めたいのであれば、まず、断ち切ることからはじめなければならない。古い習慣の延長線上に、新しい仕組みなど訪れることはない。創造は破壊から始まるのである。」と書いてありました。
私の行動は、一度に切り替えず、仕入先1社ずつ切り替えることから始まりました。その1社への対応が終わって、次の仕入先への取り組みを始めようとしていたおり、若い世代から相談がありました。資金繰りのことでした。たしかに資金繰りに無理が生じます。恥をかくのではないかと不安にもなります。しかしその思いは誰にも言わず、強気で値引き交渉をし、現金に切り替えるよう指図を出しました。
手形廃止を決断したころには、これほどまでに厳しい経済状況になるとは予想もしていませんでした。今では苦しかったけれど決断してよかったと思っています。もし決断していなかったら、毎月の手形支払いでとても不安で苦しんでいたと思います。この決断も人間の精神力を越えています。私の護り神に感謝しています。
4、総合研究所本社隣に移転、一層強い組織へ
リミット総合研究所は、福山駅前で広島県立博物館の隣で大変環境のよい場所にありました。しかし本社との連携に少し問題がありました。大変厳しい現在の状況を考えると、1カ所に集約し、強力な体制を作りたいと思っていました。特に今年夏物カタログ作成の連携にミスがあり、特にそれを強く思っていました。この度運良く、リミット本社隣の部屋がこの不景気で撤退して空きました。
そこで研究所を3月、本社隣に移転させました。お陰で朝の朝礼も全員集まり、情報伝達や意志疎通が大変良くなりました。そして今までは大きなデータの場合、通信回線で30分かかっていたデータが、数秒で取れるという合理化ができました。全ての情報が共有でき、若い世代が総合的に管理できるようになりました。その結果、組織の流れを変え、一段と人員縮小が可能になり、縮小しました。リミットは社員が少なくなればなるほど強い組織ができます。その理由はコンピュータと人との連携で、少ない人員で大きな仕事ができるからです。
私が隣の部屋に研究所を移したいと思えば、私の護り神が段取りをしてくれます。人間の知恵そして計算では到底不可能だと思います。
2002年3月25日
素敵に働く女性のためのワークウエア
リミット株式会社
代表取締役 有 木 伸 宏
コメント
コメントを投稿