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2001年 2月号

   1、海外生産時代の生き残り策とは。    いつも大変お世話になりありがとうございます。  新聞によると低価格の輸入品の影響による経営危機でタオル生産業者が輸入制限を申請したと出ています。同様の問題が私達作業服の生産業者にもあるようです。  リミットも商品の即納率100パーセントを目指し国内生産比率30パーセントを維持したために年間1億円のコストアップになった経験があります。生産コスト高による倒産を危惧した私は、即納率低下を理由とした反対論のなか国内生産15パーセントを社長命令として実行させました。結果は即納率を維持しコストダウンを達成したのです。反対論の心理は楽な道を選ぼうとしただけです。  生産を中国に移すことは、将来は生産のすべてを中国に渡すことです。その時に何が日本にあれば生き残れるか。それは何を作れば売れるかを考える企画力だと思います。日本市場を分析し優れた商品の企画と中国の生産者とのバランスが取れた強い絆の協力関係が続けば問題はありません。  問題が起きて対策を考えるのでは遅すぎます。40年前私は、今では知る人もない絣のモンペイを縫製していました。工賃が安い地域を求めて山奥に入り、そして最後は山陰の出雲まで逃げ続けました。その先は日本海です。逃げる所が無くなり、工賃が高く維持できる技術力と自社ブランド縫製をめざし自社工場で自分の歴史を作る決意をしました。モンペイから作業ズボン、男子作業服、女子作業服、女子ユニフォームそして現在はオフィスユニフォームに挑戦しています。  やがて一転、国内自社工場を閉鎖して中国に移転、変化決断の連続でした。この変化決断の連続が現在生き残っている原因だと思います。そしていつも軌道に乗った分野と赤字の分野の両方を持っていたことです。5年先はリミットは又、大きな変化をしていると思います。今、中国と連携して情報会社を作る準備も進めていますが、これもその変化の要因となるでしょう。    2、日中の違いを理解するために    前回、昨年12月の中国行のことを書きました。その時に起きた大きな問題を書いてみます。  2泊3日なのでホテルと総経理の家で会議することを総経理の娘を通して連絡しました。総経理より工場には来ないのかと2度確認の連絡が専務にありました。そこで社内では何か社長が行く...